Infiorata 2001:Genzano di Roma 深紅のフエラーリの国の華麗なる花祭 ジェンツァーノ・ディ・ローマ「インフィオラータ」
実体験レポート 2001
柳沢 弦さま
2001年6月10日(日)~6月22日(金) 13日間
紀行文
深紅のフエラーリが滑るようにわれらがツアーバスを追い抜いていく。時速100余kmの運ちゃんが、追っかけようかと言い出す。
ミラノからローマへイタリア半島を縦断するアウトストラーダ A1は、ミシュランのグリーンガイドが、技術力と、景観重視の骨太のデザインによって欧州第2位にランク付けしている。
すべての道はローマに通ず、でローマ入りした道をアッピア街道にとり、ローマの南30km、カステッリ・ロマーニ(中世のロ ーマの城に由来する地域名)に入る。静かな街,ジェンツアーノの たたずまいは、火口湖をめぐって点在する郊外リゾート地の一つに過ぎない。
だが、復活祭から60日目の聖体祭には200年の歴史をもったインフィオラ-タという祭り一色に彩られる。これは、花の絨緞の上を聖体行列が厳かに下ってくるというもので、その規模、内容ともにこの地方の同種の祭りを断然圧している。沿革を辿ると1778年に遡るという。

インフィオラータ 美しく見事な花の絨毯
実は、お祭りフリークを自認する私には、TVで中継される日本の三社祭の神輿の担ぎ手が、重さに耐えられず沈んでばかりいるのが見てられない。
ここは歳相応に世界の花祭を見る事に目標を定めて、1993年にチェンマイの花祭を妻と見に訪れている。チェンマイ美人と蘭の山車はこの世のものとは思えない華麗さだった。
ジェンツアーノの花祭を知ったのは、丸善の安野光雅スケッチ展でのことで、この時の絵は花祭りではない殺風景なもので、キャプションにあるだけだった。その後の画集にはVetrallaの花祭 が描かれていた。ここは、ガラス職人の催しらしい。もっとも、 ローマのシューズショップの売り子さんからも聞いたので、それぞれおらが町さのインフィオラ-タがあるらしい。
しめた!ジェンツアーノの花祭は写真のテーマとして最高だ!こう思ったらもう矢も盾もたまらず、足はイタリア観光局に向か っていた。そこで現地ホテル事情や、祭りの情報を仕込んだときに、イタリアスキークラブなるパンフレットに目が止まった。 冗談半分にもと居た会社で1960年台にオーストラリアスキークラ ブを結成していた者として、並記したイタリア旅行社に自然と飛 び込む事になった。

奥様の柳沢陽子さま ネーミ湖畔の『古代ローマ船博物館』前にて。カリグラ帝の巨大な御座船が出土した場所に建てられている。
問題は、ここが自由旅行を対象にした旅行社らしいことだった。 案の定、妻は「いきなり西も東も判らない土地に降り立って、あなたイタリア語はどうするの」とのたまわった。 「あたしゃツアーで無きゃいや」。事実、単身ミラノに降り立っ た20年前、地下鉄で何往復もして閉口した事が思い起こされた。
窮すれば通ず。結果は、自らがハイブリッド方式と呼ぶツアー の延泊システムを利用してその間にジェンツアーノのインフィオラ-タを組み合わせる事によって、目的を遂げる事が出来た。
自由旅行中の意思疎通は、ここにとっておきの手がある。 今回、持参した旅の指さし会話帳「イタリア編」(情報センター出版局)だ。写真のなかで、妻が指さしつつイタリア市民と会話?しているのをごろうじろ。

民族衣装の行列が、花の絨毯の上を手を振りながら歩む。
最後に、この写真を整理していてつくずく神の奇跡を信じないわけに行かなかったのは、機材のうちビデオの充電器をローマの荷物のなかに入れたまま預けてきてしまった事だ。結果的に写真に専念できたわけで、二兎を追うもの一兎をも得ずとならずに済んだ。
信者であるジェンツア-ノでの人々の優しさは随所に見ら れた。写真のポジションを譲ってくれたり、バンビーノ、バンビーナが駈け下った花びらを妻は分けてもらったりとか、(神聖な ものとして家内に供える)。

インフィオラータのフィナーレ。走り回る子供たちと、花びらを掬いとる人々は、かぐわ しい香りと共に、一瞬トランス状態になる。
そして、ここまで来る事の少ない日本人を見ると、「ジャポネーゼ」「サヨナラ」「ナカタ」と声を かける若者に出会うのおもしろかった。ちなみにこの前の日、ロ ーマがセリエAに優勝した日であった。交通規制の解かれた道を赤い旗を振るサポーターが走り抜けていたが、不思議と中世の街と マッチしていた。
肉屋の店先では、名物のポルケッタ(豚の丸焼きをスライスしてパンに挟む)が実に旨く、忘れられない味覚となっている。
▼[参考]聖体祭:(Corpus Domini)
キリストが最後の晩餐で「これは私の体」とパンを主の体と制定した事を祝う行事。毎年異なる復活祭から数えて60日目の週の木曜日が聖体祭。この直後 の日曜日に聖体行列が行なわれるが、インフイオラータ(Infiorata) はイタリア語で「花で飾った」を意味する。2001年は、6月17日がその日だったが、3日に及ぶ行事なので、現地に確認する事。検討するにはカレンダーは日曜日を先頭とするタイプが便利。
フォトギャラリー
- ジェンツアーノのインフィオラータは準備におおわらわ。
- ジェンツアーノのインフィオラータは準備におおわらわ。
- アッピア街道沿いのネ-ミ湖火口に臨んだ小さな街で、広場から放射状にのびる一つ の教会までの約 500mの坂道に聖書に因んだ花の絨緞絵が描かれる。
- クレーンにのって400mm 望遠をかまえる私。
- 俯瞰したインフィオラ-タ。 大勢が見にやってきている。
- これが画材。火山性の赤い砂を輪郭に使い、色とりどりの花弁を摘み取って大量に準備し冷暗所に保存しておく。
- 石畳に赤く線画を描き、それに沿って画材を播いていく。
- 講のようなものがあって、家族総出で仕上げていた。中央のバンビーノは、風に飛ばされないように接着材の役割か、しきりと水をスプレーしていた。
- もっとも高い位置には、ミケランジェロの最後の審判。1間幅の台に乗せた厚紙にあらかじめ細部の絵を形作ってきて、これを手際よく並べて15x20mといった大作をあっという間に仕上げてしまう。
- 統一したテーマが、ミケランジェロの色彩主義。デテールもグラデ-ションも一種の砂絵を併用して仕上げる感性には脱帽もの。システイ-ナ礼拝堂の巫女の絵がポスターに選ばれていた。
- 完成して、聖体行列を待つばかりのインフィオラータ。
- 教会のすぐ裏はこんな絶景。どこか摩周湖の雰囲気の家内。
- 指差し会話帳と地図を手に、道を尋ねる奥様。
- スフオルツア帝館前に待機する、時代行列の面々。 (時代考証はForklandiaによる)
- 聖体行列
- ジェンツア-ノの子供に限られる、ぼけ役(スパラメント)の儀式。未来ある子たちが掛け下って絵は一瞬にかき消える。
- 花びらが振り播かれ、参加者の興奮は一気に高まる。 かくて祭りは終わり、花びらはベネデイクト教会によって保存される。
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